クラブの歴史 > (B7) 1970年ツゥール・ド・ニッポン

70’ツゥール・ド・ニッポン マークⅡとスカGの息づまる戦い

1970年6月12~14日に行なわれた第5回ツゥール・ド・ニッポンは、7つのスペシャル・ステージ(SS)が設けられ、最終ステージは浅間のコースとされた。出走台数は74台。スタートは東京・明治神宮絵画館前駐車場で、12日午後8時1分、1号車が出走。第1ステージは、束京→飯能→山伏峠→秩父→志賀坂峠→中里→塩ノ沢峠→下仁田→内山峠→岩村田→出口峠→下仁田(給油)→和美峠→高峰高原→車坂峠→鳥居峠→地蔵峠。スタートからフィニッシュまですべて45㎞/hの共通アベレージである。山岳路にはいると、だんだんとむずかしくなる設定となっており、内山峠をのぼった5CPでは全競投車が減点を食うはめとなった。ところが田口峠をのぼった8CPでは減点0でチェックインした車が2台あった。松本忠雄組のスカイライン1800と佐藤献二組のスカイラインGTである。だが松本組は、この後転倒、ドライバーは無事だったが、車は動力系統が破損してリタイアとなった。8CPを減点1(1分遅れ)で通過したのは、五十嵐良雄組のコロナ・マークⅡSLと平出篤介組(マークⅡGSS)の2台だけ。あとはすべて2点以上の減点となった。SS-1、SS-2は高峰有料道路があてられた。SS-1が3.7㎞の舖装路、SS-2が2.6㎞のダートである。SS-1では、有力クラブ系のチームがほとんどラジアル・タイヤからレーシング・タイヤに変えている。序盤にスタートした横山文一(プルーバ一ドSSS)は、オ一バースピードがたたったかコースアウトし、リタイアを余儀なくされた。第1ステージ終了時の順位は、1位・佐蕨献二組(スカイラインGT/減点43.5)、2位・平田篤介組(コロナ・マークⅡGSS/44.6)、3位・綾部美津雄組(ギャランGS/49.O)、4位・岩下良雄組(ロータリー・クーペ/49.2)、5位・木全厳組(ギャランGS/49.3)、6位・篠塚建次郎組(コルト1100F・SS/49.8)、7位・渡辺誰雄組(ロータり一・クーペ/50.9)、8位・五十嵐良雄組(マークⅡSL/51.1)、9位・柑本寿一組(サニー1200GX/51.3)、10位・村手承広組(スバルFF1/52.2)以上であるが、第1ステージでは16台がリタイアもしくは夫格となっている。
第2ステージは、湯の丸高原→長野原→沼田→湯宿→大適峠→中之条→暮坂峠→草津→万座→須坂→長野→戸隠→信州新町→ひじり高原→風越峠→松本→武石峠→下沖→大門峠→茅野→麦草峠→八千穂→浅間コース→軽井沢プリンスランドのルート。13日午後4時30分、SS-3、SS-4が湯の丸林道で行なわれた。地蔵峠をスタートし、同林道をのばるのがSS-3(3.89㎞)、くだりがSS-4(3.76㎞)。まず佐藤組スカイラインがスタート、1分後に平田マークⅡ、綾部ギャランの順で駆け上がる。全車が登り終わったところで、こんどはくだりのSS。この結果、SS-3を佐藤組より11秒速く走った平田組が合計70.2点となり佐藤組と並んだ。SS-4でも21.3点の最少減点で1位。いっぽう佐藤組はSS-4で平田組に5秒遅れ、1~2位はここで逆転したのだ。佐藤組スカイラインと平田組マークⅡの勝負はしだいに熱っぽさを増してきた。SSを終え、沢渡混泉を過ぎたあたから霧がはい出し、進むにしたがって霧となった。暮坂峠下に置かれた2CPからは指示速度が57.5㎞/hに上がり、CPでは2点以上の減点を受けたのがほとんどだった。が、平出組と富山栄男組(ブルーバードSSS)の2台は減点1でここをパス。この結果、2CPで減点1を食い、0.5点差で佐藤組にトップを譲っていた平田組は逆に0.5点差で首位の座に返り咲いたのである。しかしヨーロッパ方式のため、4CPまでにこの遅れを取りもどさなければらないのだが、平田組は1分遅れのままCPにはいって減点1となり、またもアタマは佐藤組となった。SS-5は、ひじり高原有料道路の登り舗装3.51㎞に設けられた。ここでも平田組は速く、佐藤組をリードしたものの平田組はCPで減点を重ねていたため、トップは佐藤組が竪持。異変が起こったのは武石林道のSS-6だった。総距離は11.6km、前半が約7Kmの舗装、残りはダートである。佐藤組のスカイラインがゴール近くで突然してしまったのだ。平田組との差を決定的にするために佐藤組は全力疾走、このため車に無理がかかったらしく、ユニバーサル・ジョイントが折れてしまった。こうして平田組.と首位を争った佐藤組は無念にも戦列を去った。反対に平田組マークⅡはSS-6を減点73.9で走り切って1位に返り1咲くとともに、2位の篠塚組コルトとの差を5.8点差に広げていた。やがて迎える浅間の最終ステージ、平田組はここでは2位だったが、総減点2点となり、ビッグ・イベントを制し長い戦いの終止符は打たれた。

戻る 次へ

クラブの歴史 ⇒ [1.創立まで] [2.TMSCの誕生] [3.富士1000km] [4.1600GT強し] [5.自主運営確立]

History of FUJI 1000Km ⇒ [A0] [A1] [A2] [A3] [A4] [A5] [A6] [A7]

スピード記録・その他 ⇒ [B1] [B2] [B3] [B4] [B5] [B6] [B7] [B8]

Copyright© 1964-2015 トヨタ・モータースポーツ・クラブ All Rights Reserved.