クラブの歴史 > 2.TMSCの誕生
こうしてTMSCは誕生した。正式には「トヨタ・モータースポーツ・クラブ」、英語名はTOYOTA MOTOR SPORTS CLUBとした。今では日本中略称のTMSCのほうが通りがいい。なお、クラブ章はお互いにデザインを持ち寄り、池田、杉江、の案か採用された。当時まだ八丁堀にあったトヨタ自販に集まった面めんは、いずれも鈴鹿で毎週顔を合わせていただけに親しい仲間だった。このOBたちの顔ぶれで現在まだ活動しているのは、池田、大関、大竹、大坪、蟹江、北原、高橋(利)、多賀、戸村、戸国、庭山、安友の諸氏である。
さて、クラブは発足してみたものの、まだ世の中には年1回の日本GP以外にイベントもあったわけではない。一同腕ウデが鳴り、車も錆びるのではないかと心ばかり高鳴っていた思い出がある。それぞれ他流仕合を挑む場を見つけてはトレーニングをしていたが、まだクラブ単位のクローズド・イベントがふつうだった。たしか第1回の公認イベントは64年6月7日の「裏盤梯ヒルクライム大会」で、一同鈴鹿で使ったしース車を堂々と4号線を200キロも走らせて行ったものだ。ところか、コースは今で言うラリー用のダートよりまだひどい、スキー場の瓦礫道でガックリしたことしか覚えていない。 成績としてはパブリカの北原、山口が1、2位、コロナ浮谷3位、クラウン式場、大坪が2、3位だった。また、谷田部のテスト・コース直線を利用したタイム・トライアル(65年2月28日)もこの頃の公認イベントである。 さすがにGPの歴戦のつわものぞろいで、ハイスピード・トリッキー・コースのため、コースから脱落する、 スヒン続出というありさまたった。
この頃は「何でもやろう」という感じで、群馬県の館林飛行場ではCDCJ上催のドラッグ・レース(64年11月22日)をはじめ、 レースらしいものはNACが川口オートレース場でダートの公認ストックカー・レースをやっていた。創立の1年間、クラブとしては64年12月6日にチーム・エイトと共催で「宇都宮スピード・トライアル」、 SCCN、QCCJ共催の「谷田部タイム・トライアル」、SCCN、QCCJ共催の「第2回クラブマン鈴鹿レース」(65年5月30日)を組織している。 会員がそれぞれ単独で参加していたためもあるが、 翌65年5月に予定されていた第3回日本GPが鈴鹿の交通事情と自動車業界の反省の意味で突然中止されたことにも影響がある。 つまり39年秋からGPのムードが出てくるべきところが、異例に静まってしまったわけだ。
≪船橋で早朝練習会≫
65年8月10日、創立1周年を迎え、麻布プリンス・ホテルでプール・パーティを開催。このときの参加者は33名を数えている。のどかな・スイミング・パーティの雰囲式は、まさにこのクラブの古き佳き時代の象徴でもあった。しかし、GPを中止して「モータースポーツの底辺拡大」を目指したJAFの方針は、クラブマン・スポーツに影響を与えた。1965年はそうした年である。まず、千葉県船橋にある船橋ヘルスセンターに日本で2番目の「船橋サーキット」か誕生した。このサーキットは1967年、すでに閉鎖されてしまったので簡単に説明をしておくと、コースは海岸に面した幅員12-13mの特殊アスファルト舗装で、全長は3100m、ンョート・コースは2400および1800mだった。スタート台数は20台、ビットも20台分あり、最低10Rを含む小カーブの連続で、直線の終わりにある20Rのソックス・カーブは難所で有名だった。この船橋サーキットの開設を記念して、1965年7月17~18日には「全日本自動車クラブ対抗選手権レース」が開催された。いわゆる「CCC」の名で残るこのしースは、中止されたGPに代わって全国に群立した自動車クラブが対抗する最初の試みだった。それまで個人単位であったエントリー意識が、これを機会にクラブ単位に意識されてきたといえる。
当クラブとしては、第2回日本GP以降、ソーリング系の開発がストップしていたため、全体としてはあまり活躍できず、プリンスの7人の侍が目立った。しかし、この中で第2回GPから活躍をはじめた熱血児、浮谷東次郎がUP15(スポーツ800)でホンダS600の生沢と大勝負を演じ、すさまじい逆転を遂げたことは日本のモーターレース史の名場面として知られている。しかし、それから間もない8月21日、鈴鹿で単独トレーニング中の事故により彼が突然他界してしまったことはクラブ全員の悲しい想い出である。だが”トージロー”の名は今でもスポーツ史に生きている。なお、この時のUP15は市川の自宅に現在もメモリアルとして保存されている。
クラブ活動としてはサーキット練習会も熱心だった。この年の9月7日に船橋で行った練習会では、出勤前にと早朝5時半から走り、21台が参加している記録がある。9月23日には33名、そして12月8日には、TMSC有志により警視庁交通機動隊のパトロールカー16台、隊員62名を集め、船橋サーキツットで高速研修会をするなど、クラブもけっこう忙しくなった。
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