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”1972レース・ド・ニッポン6時間、初参加のセリカ、雨と霧をつらぬく”

第3回目めの’72レース・ド・ニッポン6時間(4月9日)には全部で62台が出走。ル・マシ式スタートのために並べられた車は、メインスタンドの端から端まで400メートルの長さとなった。使用コースは富士スピードウェイの左まわり4.3km。
午前10時、日章旗が一閃。コ・ドライバーが愛車めがけて走る。前日の予選時から降った雨は、スタート時にもやむことはなく、タイヤ選択のむずかし面を見せている。
スカイラインGTR(高橋国光/長谷見昌弘)とフェアレディ240Z(北野元/都平健二)の出足が良く、1週目のヘアピンには、この2車、少し遅れてスカイラインGTR(鈴木誠一/辻本征一郎)、セリカ1600GT(久木留博之/竹下憲一)、チェリークーペ(歳森康師/星野一義)、カローラクーペ(細谷四方洋/蟹江光正)・・・の順で続いた。
一周目のグランドスタンド前には北野フェアレディが首位で通過。早くもマシン不調組が続々ピットイン。高橋晴邦/鑓田実のセリカ1600GTもタイヤバーストでピットイン。一分後、レースへ復帰。
30分経過。霧がコースをはい出す。トップは依然北野240Z、以下高橋(国)GTR、鈴木(誠)GTR、寺西孝利/柳田春人240Z、久木留セリカ。
11時過ぎ、ピットは燃料補給とドライバーチェンジのため、がぜん忙しくなってくる。スカイラインGTR勢(鈴木→辻本、高橋(国)→長谷見)とトップの北野と寺西フェアレディ240Zなどが入る。北野車は燃料100リッターとタンク・ブリーザーホース交換、冷却水補給、バッテリー点検後、都平と代わりピットオフ。カローラも蟹江から細谷へステアリング・チェンジ。
この間、順位は大きく入れ替わった。1位・長谷見GTR、2位・久木留セリカ、3位・柳田240Zの順位だ。
正午をすぎ、GTR、Z勢に不運が訪れる。首位の長谷見GTRが高橋にチェンジ後、100R付近でプロペラシャフト折損でリタイヤ。柳田240Zもイグナイター・トラブルでギブアップしたのだ。
これで久木留セリカがトップに浮上、高橋(春)/鑓田セリカも2位へと躍り上がってきたのである。しかし鎗田ドライブのセリカは118周目、100Rを過ぎたあたりで水に乗り転倒、戦列を去った。
唯一の2座席スポーツ、ローラT212/FVC(度辺一/高原敏武)も雨のため、トラブルが続出、幾度となくピットインを繰り返している。
128周めの順位は、1位・久木留/竹下セリカ、2位・歳森/星野チェリー、3位・北野/都平Z、4位・鈴木/辻本GTR。だが北野Zは300R手前の水に乗り、転倒、敗退の憂きめに会う。
残り2時間。トップのセリカは2位チェリー2周の開き、3位GTRとはさらに1周差へと開いている。リタイアはこの頃までに21台に達した。
3位のGTRがショートカット出口で息の根を止めたのは午後2時30分過ぎ。164周目には、安光一/古川忠雄、細谷/蟹江のカローラ・クーベがそれぞれ5,6位に着く。
4時すこし前、「おつかれさま」「ごくろうさん」と書かれたピットクルーの持つ黒板の前を優勝の久木留/竹下セリカが通過。かくて雨と霧の6時間レースは終了した。初参加のセリカ1600GTは耐久性とその実力を立証、レース・ド・ニッポン6時間にZ、GTR連合軍の3連覇をみごとにはばんだのである。

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