クラブの歴史 > (A0) history of FUJI 1000Km

梅雨あけの7月、富士スピードウェイの夏は”雨””霧””酷暑”のいずれかである。スリップ、視界不良、オーバーヒートなど、自動車レースには最悪の条件がゴロゴロと横たわっている。
この季節に繰り広げら札るTMSC主催の「全日本富士1000km耐久レース」は、最も苛酷なレースとして長いあいだファンに定着してきた。
1974年の第8回レースは、石油パニックという日本の自動車界はじまって以来、末曽有の危機に見舞われたため、 TMSCはこのレースの主催をおりたが、過去7回の富士1000kmを振り返っただけでも、このレースが日本の自動車界、とくにレース界に残してきた功績は計り知れないものがある。
TMSCが、なぜこの1000kmを採用したかについては、つぎのような明確な目的があった。 1963年に鈴鹿で誕生した日本グランプリ以来、日本のレース界はあまりにもショート・コース、スピード本位の方向にエスカレートしていった。これはスピード本位に作られたフォーミュラカー・レースなら納得いくのであるが、スポーツカー、ツーリングカーが主体の日本のレース界としては、むしろ国際的な流れに逆行する結果になって、日本のレーシング・マシン開発に悪い影響を残すのではないか、といった反省があったからだ。
1967年、こうした考えから、 TMSCが開催した国際レベルの耐久レースは、国内ファンに耐久レースの面白さをふんだんに提供してきたのである。

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