クラブの歴史 > 5.会員による自主運営確立

≪会員による自主運営確立≫

1971年、この年からTMSCはクラブの運営方針が大きく変更された。 クラブの創立時およびその後の事情からどうしてもトヨタ自販、自工の活動に依存して運営が行われてきたが、 この年からは会員による自主運営のモータースポーツ・クラブとし、会員の特典、義務とも明確になった。 前年より設けられた部門は、これにより積極的に活動を開始し、各部門ごとにミーティング、 講習会などが開かれて会員の活動状況がより確実に把握できるようになってきた。 そして、レース、ラリーともエントリーの援助、入賞車の整備代補肋などルールを決定し、 反面では会員はTMSCのクラブ・エントリーとして競技会に参加することとした。 これでクラブ意識か高まったことはいうまでもない。また、この改革により、従来のメーカー・チーム的なものを廃して、会社組織のTMSC-Rが設立され、 クラブ活動とは完全に分離された。しかし、このような自主運営のもとに恒例の富士1000kmを中心に1300レースも開催し、 また会員の積極的なしース参加も目立ってきた。1972年、自主運営が軌道にのるとともに、TMSCが主催力を拡大した年である。 7月の富士1000kmのほかに、3月に筑波、5月に野呂山(中国ゼニー共催)、6月に鈴鹿、10月に富士と1300シリーズを展開し、 オフィンャル部門の強化により無事にスケジュールを消化することかできた。TMSC会員のカローラ/スプリンター、パプリカも各地で大活躍して前半は圧勝していたが、 秋頃からサニー勢の進出が目立ってきた。しかし、富士1000kmにおいて館/見崎組のスプリンター・トレノが総合優勝、 竹下/森のセリカが3位を獲得をする快挙かあった。1973年、9年目を迎えたTMSCはこの年なんと6レースを開催、1レースを競技運営している。 4月に富士、5月に野呂山、7月に富士・オールスターおよび富士1000km、8月は青森・むつ湾の競技運営、9月に鈴鹿、 10月に富士と、これまで経験したことのないプロモーターぶりを発揮したが、 オフインャル部門の協力、事務局佐藤くんの奮闘でなんとかスムーズに納った感じてある。 また1300以下の小排気量車のレース育成、およびビギナーの指導など、クラブ本来の目的を最大限に発揮した。 その間にクラブ会員相互に密接な友好関係が育ったことはなによりの収獲である。自分の特技にしたがって、 それぞれが好きなモータースポーツの楽しみを見出したことでクラブ10年のあゆみの中でもっとも充実した時期といえよう。 車はセリカ時代となり、カローラはサニーに遅れをとるようになってきた。レース部門メンバーの苦心は大変なものだったが、 それでも対抗意識か生まれてしースを続けている者が多い。 ラリー部門も同様で、ファクトリー仕様の車の後塵の中を走らなければならないのが現状だった。 この頃から全国のトヨタ・スポーツコーナー網の整備と充実が行なわれ、われわれにとっては従来、 高根の花だった高価な部品が安価に手近で入手できるようになり、 しかもより良いサービスも受けられるような態勢が敷かれたことは特筆に値する。富士のグランチャンピオン・シリーズはレース界で光っており、日本のモータースポーツ界をりードしていた。 ところが皮肉なことに、11月23日の最終戦で大事故が発生、 この日から石油節減の休日スタンド閉鎖の社会事情と重なってモータースポーツ界は暗雲に閉ざされた。 この事故でクラブ事務局を.担当したことのある中野雅晴くんを失った。 不慮の事故とはいえだれもが友人を亡くしたことに衝撃を受けた。


 

≪10年の歴史が物語るもの≫

そして1974年、石油危機という自動車、そしてモータースポーツに直接関係のある問題、 これは73年末から74年春にかけて世界中を吹き荒れた。自動車関連産業もこれからおよんだ被害をまともに受け、 とにかくモータースポーツどころではなかった。年頭の総会で本年度の運営方針が協議され、単一メーカー系のクラブ組織の性格上、 トヨタのスポーツ活動全面停止の決定に協調して(1)競技会の主催をしない、(2)クラブ・エントリーをしない、 の2点を決議した。したがって、74年度はTMSC主催の競技会はいっさいなく、事務局経由のエントリーも中止されている。しかし、このような最悪の条件下でもクラブ会員個人のモータースポーツに対する情熱はすこしも失われず、 相変わらずレース、ラリー、オフィンャルにと機会あるごとに活躍の場を見出している。 運営委員会、役員会もこの実状を把握してモータースポーツ・クラブにふさわしい運営に当たっている。 また、大多数の会員の意志により、7年間TMSCで育ててきた富士1000kmレースを廃止することがしのびなく、 ことしはコース・オーナー側の主催に交渉を行ない、 クラブ員は積極的にオフィンャルとして参加したこともそのひとつの表れである。
1964年に有志によって結成、創立されたTMSCはここに創立いらい10周年を迎えた。 オイルショック、自動車業界不調の折りに当たってしまったことは残念であるが、 ここまで育ってきたことだけは会員全部の喜びである。この間に協力、援助をいただいた各方面のかがたのお陰であり、 それにもまして大事なことは広いモータースポーツの世界で、 トヨタ車を選んで情熱を注いできた会員諸兄のひとりひとりの努力の結晶である。 今後ともTMSCは日本を代表する公認クラブであり、 その構成会員のレベルの高さはなによりもこの10年の歴史が物語るものである。

TMSC トヨタ・モータースポーツ・クラブ 10周年記念アルバム(昭和49年発行)より転載

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