クラブの歴史 > (A5) またも霧、ポルシェ906が制す

History of FUJI 1000Km
第5回:1971年7月25日

5回目を迎えた富士1000㎞は、ビッグ・マシンが完全に姿を消した代わりに、エントラント総数111台という賑わいを見せた。ドライバーもエントラントも、このシーズンで考えられる最高のものが集ったといっていい。代表的マシンはベルコ72D、フェアレディ240Z、ポルシェ910などの常連に、開発中のターボチャージ付きコロナ・マークⅡ-XRが3台登場して話題を呼んだ。決勝の25日は、前夜、激しく降りつづいた雨はおさまったものの、富士特有の霧がコース上を覆い、霧の中の1000㎞レースとなった。決勝に出場した50台は、111台という史上最高のエントラントの中から予選を勝ち抜いたマシンたちだが、 TMSCのメンバーを例にとると、主力メンバーである1300以下のカローラ、パプリカが予選で全滅するというきびしいものだった。レースは、高橋国光/黒沢元治の240Zが速く、ポルシェ910、ブルーバードSSS、ベルコなどがリードした。話題のターボチャージド・マークⅡは、スタートに出遅れ、しかもピット・インを繰り返すばかりで、早くも優勝ののぞみは断たれてしまった。いずれも、インジェクション系統の不調である。まず、細谷四方洋/舘宗一がスタート時から不調で、午後1時19分、リタイアしたのをはじめ、久木留博之/高橋晴邦も、午後2時5分にはピットインしてそのままリタイアした。最後に残る蟹江光正/見崎清志も125周目、タイヤをバーストさせて無念の涙をのんだ。また、序盤好調だったニッサン勢も、中盤にきてトップを争っていた高橋/黒沢の240Zがエンジン・トラブルで消えるなど、午後3時の時点で、多くの有力マシンがコース上から消えてしまい、逆に、ポルシェ、ニットラ、カペラ、プライベート・240Zが頑張っているといった形となった。しかし、午後3時24分すぎ、急にコース上は濃霧に覆われ、まったく視界がきかなくなってしまった。オフィシャルからグリーンフラッグが振られ、それも、すぐまたイエローフラッグに変えられた。この間、もちろん追い越し禁止である。そのまま走っていても順位は変わらない。けっきょく、競技長は、ホールド・ポジションのまま、レースを短縮してチェッカーを振った。トップは川口吉正/木倉義文のポルシェ910、2位・田中弘/矢吹圭造(ニットラAC 7)、 3位・寺田陽次郎/岡本安弘(ロータリー・クーペ)、4位・篠原孝道/鯉沼三郎(ダットサン・スポーツ240Z)、 5位・増田万三/高橋健二(240Z)、6位・久保田洋史/鈴木誠・一(スカイラインG.TR)となった。序盤2~3位を占めていた高原敬武/桑島正美のポルシェ906は102周目でクラッチを痛め、序盤トップにもたって健闘した津々見友彦/大石秀夫のベルコ72Dも、 119周目でドライブシャフトのホイール側ジョイントを折リレースを断念するなど、このレースほど、上位入賞が予想されたマシンがつぎつぎに消えていってしまったレースは見当らない。所要タイムは川口/木倉組の5時間09分13秒であるが、これは745.7㎞実走行タイム(平均149.348㎞/h)だから参考にはならない。「霧の1000㎞」として、歴史に残る条件だったレースとして記憶されるに違いない。

 

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