クラブの歴史 > (B4) 1972全日本鈴鹿新春300キロ

’72全日本鈴鹿新春300キロ”ストップ・ザ・サニー成就”

かつて1300cc以下のツーりングカー・レースはカローラの独壇場であった。しかしサニー勢の巻き返しは激しく、いつしか同レースの地図はサニーに塗りかえられていた。そのカローラがサニー勢を向こうにまわして面目躍如を遂げた一戦が1972年1月16日の全日本鈴鹿新春300キロだった。1300cc以下の1部門には、ツーリング、レーシング両クラス合わせて36台が出場、ル・マン式でスタートを切った。佐藤文康のカローラ・クーペがトップでスタートを切る。つづいて久木留博之のカローラ・クーペ、松本隆雄のギャランの順。1周終わったグランドスタンド前には佐藤(カローラ)、寺宙孝利(サニー1200GXクーペ)、久木留(カローラ)、松本(ギャラン)、浅井恒久(マッハ・サニー)、鈴木誠一(サニー1200クーペ)、安藤正直(川秋スプリンター)、高僑晴邦(カローラ・クーペ)と、カローラ、サニー混淆で通過。2周目、寺西サニーがトップに立ち、久木留カローラがこれを追う形となった。しかし空は一転暗くなり、この周の終わりごろから雨に変わった。3周、4周とラップを重ねるにしたがい、雨はますます激しくなった。出場車のほとんどがドライ・タイヤを装着しているため苦しい戦いをしいられているのだ。5周を終わったところで、4位を走っていた高橋カローラがピットにはいってきた。オールウェゲーに交換、3分後に飛び出す。高橋はこれで1周遅れとなってしまった。8周目には久木留カローラもピットイン、タイヤ交換。この間、寺西サニーと鈴木サニーが1~2位を占め、佐藤カローラが3位につけている。
しかし寺西の首位は長くはつづかなかった。エンジン・トラブルのため、10周でピットイン、そのままギブアップしたのである。トップは鈴木が繰り上がり、15周には2位・安田耕三(サニー1200)3位・松本(ギャラン)、4位・浅井(サニー)、5位・太田和義(サニー1200GXクーペ)の陣容を整えた。6~7位に高橋、久木留のカローラが茄いている。20周を消化する頃、一時止んだ雨がまたも降り出し、路面はジットリと濡れいる。オールウェザーにはきかえた高橋、久木留のカローラ勢は、水を得た魚のように飛ばしに飛ばし、この頃までに3~4位に返り咲き、高僑はつぎの周には安田サニーを抜き去り2位に浮上した。レースの半分を終えた25周頃には、またも雨は止み、陽さえさしてきた。しかし高橋、久木留両車はトップの鈴木サ二ーをもとらえて1~2位を形成。だが、久木留カローラはオーバーヒート気味のためペースダウン、けっきょく49周に再度鈴木サニーにその座を明けすことになった。それはともかく、首位に立ってから高僑カローラは他車をまったく寄せつけぬ強さを見せ、無事チェッカ一ド・フラッグをかいくぐり、サニー勢に一矢を報いたのである。

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