クラブの歴史 > 3.富士1000kmを開催

≪事務局が自販ビルへ≫

この頃のクラブ・イベントとしては、11月28日に船橋で公認のジムカーナを主催して、参加車50台を集めている。 レ一スはまだ共催か多く、 当クラブは友好SCCNとQCCJ(日本4CVクラブ)と組んで5月の鈴鹿についで10月24日には船橋でクラブマン・レ一スを開催している。 当時、クラブとして誇れる車はGT-1クラスのスポーツ800しかなかったのが実状だった。 だが、この年のモーターンョーには、トヨタから夢のような2000GTが出品されていた。
1966年、この年は富士スピードウェイ誕生の年である。これを機会に、 中止されていた第3回日本GPは富士スピードウェイに舞台を移して開催されることになった。 そして、この間のブランクの1年はトヨタ目工にとっても、ヤマハ発動機の協力を得てトヨタ2000GTを試作する時間となった。 このGP再開を機に、2000GTの高速性能を開発するべく、まだ試作車の2000GTはレーシング・バーンョンに姿をかえた。 細谷、福沢、田村の3名もチーム・トヨタとして2000GTの準備にとりかかった。いっぽう、TMSCとしてはUP15を主戦力として、その熟成につとめていた。 年頭1月の鈴鹿500㎞レースでは早くも細谷、田村、多賀か、総合で1、2、6位として入賞している。 翌17日、TMSCはトヨタ自販ビル移転のためクラブ室を現在の九段に移したこともこの年の大きな出来事である。 現在のレーシング・スーツのワッペンもこの頃作られたもの。また、第3回日本GPを前に開催された3月26日の第4回クラブブマン・レース富士大会では、 大坪、高橋(利)、蟹江のUP15がクラス1、2、3を独占、それに加え開発中のRTXが2台スポーツカー・レースに参加、 田中健一郎のフェアレディ2000と対決してみごと細谷が優勝、福沢が2位となった。この車は後にRT55(1600GT)となって市販され、TMSCとは緑の深い車である。


 

≪富士1000kmを開催≫

さて、この年のトヨタ2000GTはGPでプリンスR380についで3位を獲得したが、 本格的レーシング・プロトタイプとは違ってスプリント・レース向きではなかった。 そのため、その後はつとめて長距離レースがあれば出場し、「耐久のトヨタ」の異名をとるまでになった。 そのはじまりは6月26日の鈴鹿1000kmで、福沢/津々見組が優勝、細谷/田村組が2位、 そしてGPのGTレースでフェアレディ、ポルシェ、エランについで総合5、6、8位に戦果をあげたUP15組も、 この鈴鹿1000kmでは総合4位で高橋/蟹江組が入賞してしている。いっぼう、耐久性のある2000GTを実証するため、トヨタ自工ではスピードの世界記録に挑戦することになり、 66年夏に谷田部の高速試験場のコースで準備にはいった。 そして10月1日から4日のあいだ、1台の2000GTは次つぎと記録を破り、3 日間を平均206.02km/h、 15000kmを 72時間48分で通過、1万マイルを78時間03分で平均206.18km/hと3個の世界記録、13のEクラス国際記録を樹立した。 この間2時間半ごとに運転を交替した細谷、田村、猫沢、鮒子田、洋々兄の5名のドライバーの苦労はもちろん、 悪大候の中で昼夜コース・オフィンャルとして交替でこのイベントを成功させたTMSC会員の情熱も大変なものだった。 会員がー致団結して行動したためクラブ意識も盛りあがった。ちょうどこの頃、舘、見崎の両名が入会し、会員番号は122、123とクラブのめざましい成長ぶりを物語っている。 また、66年に活躍したUP15の戦績によりこの年のスポーツカーレース選手権はTMSCの戸坂、大坪、北原が2、3、4位を獲得した。1967年、この年も3月26日に行なわれた鈴鹿500kmで、鮒子田のトヨタ2000GTが優勝、 津々見がUP15で総合2位をとり順調なスタートを切った。 また、4月8日に行われた富士24時間レースは、日本で初めてのものであり、2000GTが3234kmを走破して1、2位、 そして田村/川合のU P15が3位でランデブー・ゴールをみせた。 なお、この年も5月3日に行なわれた第4回日本GPにはTMSCとしても参加はなく、 53名と多数の会員がオフイャルをつとめた。しかし、そのかわりにTMSCとしては重大な発展を遂げた。 TMSC富士1000kmレースの主催である。 しかも、耐久力とスピードの競争を主張して、富士スピードウェイの6kmフルコースを167周する形をとった。 結果としては台風の影響で霧と雨にたたられたが、細谷/大坪の2000GTが7時間45分で走破して総合優勝し、 2位には高橋蟹江組のUP15、4位も2000GTで再びランデブー・ゴールをやってのけた。この年から、レースにも、ラリーにもカローラの出場が目立ちはじめ、 そのとどめとして11月12日の鈴鹿2時間レースにカローラで出場した北原は、 この年のツーリングカ一選手権の1300cc以下チャンピオンを確定した。また、クラブ・イベントの盛況なことも、 12月10日の横浜・ドリームランドのジムカーナに69台もの参加者かあったことから歴然としている。 この種の基礎競技はレース・ドライバーがコース・オフインャルをやってメンバーを楽しませてくれるところに人気があった。 スポーツ・クラブならではの交流であった。

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